小千谷の社会保険労務士

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社労士受験後記 Ⅱ 

 勉強の苦労は色あせる?

人から「どのくらい勉強した?」「大変だったでしょ?」「すごいな~、頑張ったね」と言われることがあるが、あまりぴんとこないのはなぜだろう?

今、思うと「全然たいしたことじゃなかった」というのが、正直な感想である。いや、確かに数ヶ月間は大学受験当時と同じくらい勉強はした、いやになるほど机に向かった、飲み会ではウーロン茶を飲んで早めに退席したこともあった、試験前は不安でしょうがなかった、試験終了後神様を憎みそして神様に祈った、合否をインターネットで確認するときはどきどきした、受験番号を見つけたときは何度もガッツポーズをした・・・だけど、今思おうと「たいしたことじゃない」と思ってしまう。
 それは、過去の勉強の苦労は人間は忘れるようにできているからなのか、現在業務として抱えている案件の方が試験勉強よりはるかに困難だからか、それとも本当に余力があったのか(いやこれはないな!)。

おそらく、月日が経つと(知識としては残るが)勉強の苦労は色あせてくるのだと思います。例えば、大人(30代、40代)になった人が大学受験の時どの程度勉強したかと聞かれ、「よく勉強したよ」という人はおそらくいないのではないだろうか? 高校生当時、一生懸命勉強したとかしなかったとかは関係なく、ほとんどの人が勉強した苦労体験は忘れる、すなわち「全然勉強なんてしなかったよ」という答えになるのではないだろうか。
 同じように私がもし10年後に、「社労士試験のためにどのくらい勉強した?」と聞かれたら、私は「全然勉強なんてしなかった」と答えてしまいそう…。合格を知ってから数ヶ月は自分でも「よくがんばったな、よく勉強したな」と自然に思えていたが、1年以上経過した今はもう「どうってことはなかった」という思いに変りはじめているのだから。 つまり、大変な思いも過ぎてしまえば、良い思い出になるということなのでしょう。

いくら勉強にがむしゃらに打ち込んで、勉強漬けになってしんどい思いをしたとしても、過去になるにつれその苦労は色あせてくる、つまり「どうってことなかった」と思えてくるのであれば、今を苦しまなければ(頑張らなければ)、なんともむなしい限りである。

しかし、このことは受かったからこそ言える(思える)ことなのだとも思います。もし社労士試験が不合格だったら「どうってことはなかった」と思うことはできるはずはありません。過去の苦労ではなく、現在進行形の苦労になるのだから・・・。

現在、XHTMLやCSS,JavaScriptの記述に四苦八苦しているが、こうした経験もきっといつかは「たいしたことじゃなかった」と思える日が来るのだと思います。(あきらめずに取り組んで、身に付けることができればですが…)


一方、過去の肉体的・身体的な苦労は色あせないように思えます。何か過去にしんどい肉体労働をしたことがあり、そのことを振り返ってみて、「どうってことはなかった」と思えるか?
 学生時代、趣味の自転車(20万くらい!)が欲しくてレストランと居酒屋のバイトをかけもちした。午後にレストランのバイトをして夜7時から居酒屋のバイトをして終わるのが午前3時、アパートに帰ると泥のように眠っていた時代(20歳くらいの時)がありましたが、15年以上経った今思うと「よくやっていたな」と当時の身体的なしんどさは色あせていない(きつかった~)。